1381年お正月

sal-e nou 1381



 

去年一年間は受難の年でした。年の初めに夫は足が痛く、挨拶回りするのが大変、仕事へ行くのも大変でした。義父と義母がメッカの大巡礼から帰ってきた後、義父は体調がわるくなり熱を出すようになりました。6月には心臓の異変に気づきました。

 夫の妹一家は2,3年イランで生活していたものの、生活の拠点をドイツにまた戻してしまうし、舅は検査をして手術をすることとなり、50日間入院していました。

その間夫の姉妹とは大喧嘩する(初めての体験)は、家の下水道管がこわれてトイレとお風呂はつかえなくなる、下水が壁から漏れ出す。。。。

 やっと退院して2日目に羊を犠牲にしていたところに、母の訃報をきき母の死の10日後には祖母が亡くなり、12日間の日本滞在を終え、イランの正月の準備で慌ただしくしているとき、日本から持ち帰ったおたふく風邪が発病する。。。

 最後の最後まで、まあ本当に受難の月日でした。でも、いくら辛いことがあっても、どんなことがあっても春はやってくるもので、春に新年を迎えるイランのお正月がいつになく嬉しく感じられました。イランのお正月を母と祖母にみせてやりたかったなあ、、、と思いますが、あの世から羽がはえたように足どり軽くイランの私たちの生活を見にきてくれていると思って、元気に生活したいと思います。

 今年が幸せな年になりますよう願ってやみません。世界が平和になりますように、、、病気で苦しんでいる人が治りますように。。。。。

 

イランのお正月を迎える準備

今年は夜の10時45分ごろ新年を迎えました。今年からモハラム(イスラムシーア派の喪月)が重なるため(お正月の5日前からモハラムに入った)、テレビ番組のいつも盛大な年明けの合図も、ひかえめなものでした。ある番組では年が明ける前の何分間かはアザーン(礼拝の呼びかけ)を放映していました。モハラムのあとの1ヶ月間もイマームの命日続きで祝い事、結婚式、お化粧はご法度の期間です。これから5,6年のあいだ、モハラムとイマームの命日続きの1ヶ月間がお正月と重なります。5,6年がすぎたら、今度はいつになく盛大にお正月を祝うそうです。楽しみですね。

イランのお正月にかかせない、鏡とろうそくたて、金魚、そして、7つのスィーン。今年の7つのスィーンはサーアト(時計)、サブズィ(野菜)、スィール(にんにく)、スィーブ(りんご)、セッケ(硬貨)、ソマーグ(キャバブにかける酸っぱい、スパイス)、ソハン(イランのお菓子の名前)です。 

 

 

モハラム9日のタスワ(イマームホセインの異母兄弟のアブルファーズ追悼の日)の前夜になるまでは、キャンディーやら、お菓子などを出していました。(お正月恒例のミックスナッツ、アジールは出しませんでした。)

 
夫の従兄弟の奥さんのお父さんは宗教関係のお仕事なのでそちらのお宅では果物だけしか出さなかったそうです。黄色い果物は日本にはない、あまーーーーい、あまーーーい檸檬です。私の大好物です。
 
 

 

お正月で家をきれいにしたので公開します。客間です。

 
大きいのは12平米の絨毯、小さいのは6平米の絨毯

 

 
居間です。奥は廊下になっています。奥に3室あります。

廊下のほうから居間と、客間と台所を写しました。ぜひうちに遊びにきてください!!

 

この壁紙はヒカルさんの旅の素材屋からのものを使用しています。